オーストラリアでソフトする日本人を直撃!!!
- 2018.05.12
- softball

オーストラリアでソフトボールをしているはるかです。
今日はなんと唯一オーストラリアでのソフトボール友だちとお食事に行ってきました!
彼女との出会い
先日の試合終わりに、
「こんにちは(^^)」
と笑顔で話しかけて来てくれた、オーストラリア国籍持ち日本人の女の子が居ました。
彼女の名前はもえ。
実は向こうから話しかけられるまで全く日本人と気付かず…。笑
綺麗に陽に焼けて英語もペラペラな彼女は完全にオージーでした。笑
そんな彼女とディナーに行って来た
日本で過ごして居たのは小学生の途中くらいまでだそうで、
オーストラリアに引っ越すする前にやっとの思いでソフトボールでもレギュラーを取ったのに、
引越しのせいで結局レギュラーになれないままオーストラリアに来て初めは大泣きしたそうです。笑
彼女は野球とソフト両方やっていて、ソフトの実績はQLD州の代表選手にも選ばれるほどかなりの実力者です。
日本語を話せるオーストラリアに住んでいる日本人
話し始めてふと感じたのは、とにかく私の服を「可愛いね(^^)」と褒めたり、私が歌っているYouTubeを見せると、「本当に歌上手い。やばい。鳥肌立つんだけど。」と何回も何回も繰り返したり。
こっちが恥ずかしくなるほど、褒められまくりました。笑
これって、もえが日本語を話せるオーストラリアに住んでいる日本人だからなんですよね。
どういうことかというと、彼女自身頭の中で翻訳して話している訳では無いそうなのですが、彼女の価値観、育った環境がほぼほぼオージーに染まっているわけです。
仮に、私のように日本からきた一年も経たないけど英語が少し話せるというタイプと全く違うわけです。
彼女に説明するときも言ったのですが、英語で
「I love it. 」
を日本語で
「私これのこと(チョコレート)愛してるねん❤️」
とは訳しませんよね。笑
直訳はしていなくても、多少なりとも自分で気づかないような考え方や褒めることについては凄くさらっと出来てしまうタイプなので、初めは返答に困りました。
両親は日本人で日本語で話をするようなのですが、
考え方が完全にオージーなので日本の文化の話をすると、
「え、ありえない。なんで?」とかなり食いついてきて日本の価値観とオーストラリアの価値観について議論しあったりもしました。
文化の違いがおもしろい
例えばサングラス。
「日本のクラブ活動の中で高校生以下の子達がサングラスかけられない事が多い。理由は日本のサングラスのイメージって格好つけてるっていうイメージがあるから」
と言う理不尽なことがある事を説明しました。
私は(きっともえは目に悪いのにサングラスかけるべきやろ!!と答えるだろうな)と思っていました。
しかし彼女は
「格好つける何が悪いん??」
とこう返して来ました。
もう衝撃でしたね。
自分の思考をはるか上に超えて来ました。
私も少しばかりオージーに染まって来ているせいか、
「なんでだろうね〜」
と一緒に考えました。笑
もえに色々現地のソフトボール事情を聞いたのですが、私が理解していない部分を教えてくれたり、これってどうやって聞けばいいのかを教えてくれたり。
いろんな観点から話が出来てかなり面白かったです。
特に私がなんで伝わらないか分からないと言うことがひとつあったのですが、
POINTという単語。
これって日本語で
「1ポイントゲット!!!」
みたいな感じで一点と同じ使い方をするじゃ無いですか。
でも、本来英語の意味は重要なところを指す意味合いで使われるので、誰に言っても「???」となることが多いそうです。
試合中に私が
「What’s point??」
と聞いてもみんなハテナを浮かべていたのがその為だったみたいで…。
正確には
「What’s the score?」
というそうです。
日本語の意味を間違った変換本当にやめて欲しいです。笑
そんな話をかれこれ3時間した後に家に帰って来ました。
日本語でこういう交流も面白いですね!!
萌とのディナーは最高でした。
オーストラリアに住んでいる日本語ペラペラのもえは、本当に貴重な存在で私のことを助けてくれる助っ人にもなりそうです!
はるか
東京オリンピックへ向けて。〜プロへの挑戦〜
私は2020年3月10日からソフトボール世界No. 1の国であるアメリカのプロソフトボールチームに入団テストを受けに来ています。
身長は154㎝で体格は決して恵まれていません。
中学時代全国大会でベスト4、高校のインターハイで優勝、大学の関西リーグでは、防御率0で最優秀投手賞を受賞。
しかしながら、日の丸を背負って投げた試合は、日韓交流戦のたった一度だけ。
防御率はいいものの、決して三振をバンバン取れるピッチャーではなく、同年代の中でも目立ったピッチャーではありませんでした。
立命館大学に入学し、1回生の秋からほとんどの試合を任せてもらうようになり、エースとしてマウンドに立ち続けてきました。
しかし、過度な投球が原因で肩を負傷。
上野さんたちが戦っている日本ソフトボール界の頂点である「実業団」に挑戦するイメージはどんどん消えてきました。
ある日、夢の中でアメリカのプロリーグにスカウトされました。
夢を見たことがきっかけで海外でソフトボールを続けることを決意。
2017年11月からオーストラリアのブリスベンに1年半ソフトボール留学し、QLD州(ソフトボールが最も盛ん地域)U23の代表に選ばれました。
オーストラリアで、自分のピッチングが通用したことが
自信になり、ソフトボール世界No.1のアメリカで、プロを目指すことを決めました。
人間、諦めなければ必ず夢は叶うと信じてここまで取り組んできました。
アメリカのプロになる事は、決して簡単なことではありません。
しかし、どうしてもこの夢を叶えて日本人初のプロソフトボール選手になりたいのです。
そして、日本から私以降にアメリカでプロになる選手を増やし、日本の競技力向上を図ります。
私のファンクラブにて、今後の展望をお伝えしておりますので、是非ご覧ください。
このファンクラブは、みなさんと一緒に夢を追いかけるためのコミュニティです。
ぜひご入会いただき、一緒に夢を追いかけてみませんか? ファンクラブはこちらから
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