オーストラリアで試合していたら試合の途中から野手が8人になった話。
- 2018.05.13
- softball

オーストラリアでソフトボール留学をしているアスリートライターのはるかです。
今日1週間ぶりの(毎週1週間ごとなんだけどね。笑)試合をしてきました。
タイトルの通り、途中で急に9人→8人で試合をしたんです。笑
正直、投げている私が一番びっくりしました。笑
では早速説明していきます。
全てはライトにフライが飛んだことが始まりだった
一から説明して行くと、3回にライトにフライが飛んだんです。
その時にライトの子が一歩も動かずセカンドが追いかけても明らかに間に合わないところに飛んで、いとも簡単にポテンヒットになってしまいました。
サードのマックがライトに質問をした
その時に、サードにマックがライトの子に
「コール出した??」
って少しきつめに問いかけたわけです。
もちろん私も流石にあそこまで追いかけてくれないと疑問は抱きましたし、どうしてだろうとも思いました。
ボールが取れなかったのは〇〇が原因だった。
実際には太陽の向きが悪く見えなかったんですよね。
ですが、ハタから見たら完全に打ち取ったライトフライだった事もあり、マックが言った言葉は決して間違ってはいませんでした。
彼女がベンチに帰ってきたときにはもう既に…。
その後何だかんだで打ち取って帰ってきた後、ライトの子が泣きながら帰ってきたんですよね。
正直かなり衝撃でした。
何故なら日本では頻繁に行われているような指摘ですし、そんな事で泣いたらかなり怒られるのも分かっているので殆どの日本人選手は中学に入る頃には簡単に泣かなくなっていると感じたからです。
ライトの子が泣いている様子を見て、マックがsorryと謝ったり、他の子たちが慰めたり。
かなりみんながその子のことを気にしながら試合が進みました。
監督から御指令が。
その次の回まではライトに守りにこれていたのですが、次の回から守れなくなってしまったみたいで。
監督から
「はるか!!ポジション若干チェンジするけど頑張れ!!」
と言われて後ろを見たら、左中間と右中間に一人ずつ外野手が立っていて、もう笑いが止まりませんでした。
え、このまま試合継続するの…笑
と思いながらもうやるしかないので、頑張って打たれないように投げました。
何故このような事が起こったのかというと、チーム数が多い分結構全てのチームに対して9人ギリギリでやる事が多いんですよね。
後は、うちのチームでホリデーで娘が競技やっている人がそっちの付き添いでいなかったり、アメリカに旅行に行っていたりでそもそも今日の人数がうちのチームはかなりギリギリで行われていました。
そんなこんなで今日の試合をしたのですが、結果は負けてしまいました。
一点差か二点差だったのですが、正直守備が8人になったことの方が衝撃すぎでそれどころじゃなかったですね。笑
家に帰ってからのうちのホストファミリーの感想
で家に帰ってそれをホストファミリーに伝えたら、
「何で棄権しなかったの?」
と言われて確かに。と納得しましたね。
後はその女の子が泣いた理由については
「きっとお母さんと会えなかったのよ。今日母の日だからね〜」
と言われました。
結構日本と比べて泣くこと自体はみんな抵抗無いみたいに見えました。
泣きたい時は泣いていいし、笑いたい時に笑えばいい。
そんな素直に感情を出している事も素敵に思えた一日でした。
皆さんは母の日どんなことをしましたか?
はるか
東京オリンピックへ向けて。〜プロへの挑戦〜
私は2020年3月10日からソフトボール世界No. 1の国であるアメリカのプロソフトボールチームに入団テストを受けに来ています。
身長は154㎝で体格は決して恵まれていません。
中学時代全国大会でベスト4、高校のインターハイで優勝、大学の関西リーグでは、防御率0で最優秀投手賞を受賞。
しかしながら、日の丸を背負って投げた試合は、日韓交流戦のたった一度だけ。
防御率はいいものの、決して三振をバンバン取れるピッチャーではなく、同年代の中でも目立ったピッチャーではありませんでした。
立命館大学に入学し、1回生の秋からほとんどの試合を任せてもらうようになり、エースとしてマウンドに立ち続けてきました。
しかし、過度な投球が原因で肩を負傷。
上野さんたちが戦っている日本ソフトボール界の頂点である「実業団」に挑戦するイメージはどんどん消えてきました。
ある日、夢の中でアメリカのプロリーグにスカウトされました。
夢を見たことがきっかけで海外でソフトボールを続けることを決意。
2017年11月からオーストラリアのブリスベンに1年半ソフトボール留学し、QLD州(ソフトボールが最も盛ん地域)U23の代表に選ばれました。
オーストラリアで、自分のピッチングが通用したことが
自信になり、ソフトボール世界No.1のアメリカで、プロを目指すことを決めました。
人間、諦めなければ必ず夢は叶うと信じてここまで取り組んできました。
アメリカのプロになる事は、決して簡単なことではありません。
しかし、どうしてもこの夢を叶えて日本人初のプロソフトボール選手になりたいのです。
そして、日本から私以降にアメリカでプロになる選手を増やし、日本の競技力向上を図ります。
私のファンクラブにて、今後の展望をお伝えしておりますので、是非ご覧ください。
このファンクラブは、みなさんと一緒に夢を追いかけるためのコミュニティです。
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