ソフトボールがわたしに教えてくれたこと。
- 2018.07.28
- コラム

アスリートライターのはるかです。
わたしにとってのソフトボール
小学校二年生から今日まで引退ライフ以外のわたしの生活の中で寄り添っていなかった日はないソフトボール。
あなたにとって「ソフトボールとは?」と聞かれたときになんて答えるだろうと自分なりに答えを出してみました。
「自分と周りの人を元気にする原動力」
わたしの特技というか、好きなことは大事な人をポジティブ思考にすることです。
そのためには会話の中ですることもあればわたし自身の行動で見せられることもあります。
行動で見せるときに一番必要なのは、「結果」です。
結果がついてきていないと、
「またあいつそんなこと言ってる。」
と口だけのやつだと思われることも少なくありません。
「もっとこうしたほうがいいよ」
といくらわたしがアドバイスしてもわたしが何もやっていなくて、結果も出ていなかったら自分はやってないくせにと言われて終わります。
そのための「結果」を出させてくれたのが「ソフトボール」でした。
誰かのために頑張る素晴らしさ
ソフトをやっているときに
「わたしが目立ちたいから勝ちたい」
という思考になったことはまずありません。
わたしが本調子が出るときはいつも
「あの人の喜ぶ顔が見たい。」
そういうときに結果がついてきます。
それは今も変わりません。
むしろそういう気持ちは年々強くなってるし、自分でも誰かのためにやったほうが勝てるんだということにも気が付きました。
この経験から、
「誰かのために頑張る素晴らしさ」
を知ったこと、そしてその時は結果が出やすいこともわかりました。
ソフトボールがわたしに教えてくれたこと
日本のスポーツは特に勝ち負けに重きをおいているチームが多いですが、本当に大切なこと、そして今後の人生の支えになるのは共に頑張った仲間、ソフトボールを通じて知り合った人たちです。
選手同士はもちろんのこと、他大学の監督さんと仲良くなったりとかなりたくさんの人たちとつながることができました。
今後の自分の人生の中でここまで濃く自分の成長を褒めてくれる人たち、そして私の事業の背中を押してくれる人たちはなかなかいないと思います。
これは間違いなくソフトが私にくれたプレゼントです。
もらったプレゼントを次の人に渡すためにこれから恩返しをして行くことが私の使命であり、それが私の本望です。
オーストラリアから帰った後も活動をさらに広げ、私以外に海外に挑戦したい人たちの背中を押して行きたいと思っています。
はるか
東京オリンピックへ向けて。〜プロへの挑戦〜
私は2020年3月10日からソフトボール世界No. 1の国であるアメリカのプロソフトボールチームに入団テストを受けに来ています。
身長は154㎝で体格は決して恵まれていません。
中学時代全国大会でベスト4、高校のインターハイで優勝、大学の関西リーグでは、防御率0で最優秀投手賞を受賞。
しかしながら、日の丸を背負って投げた試合は、日韓交流戦のたった一度だけ。
防御率はいいものの、決して三振をバンバン取れるピッチャーではなく、同年代の中でも目立ったピッチャーではありませんでした。
立命館大学に入学し、1回生の秋からほとんどの試合を任せてもらうようになり、エースとしてマウンドに立ち続けてきました。
しかし、過度な投球が原因で肩を負傷。
上野さんたちが戦っている日本ソフトボール界の頂点である「実業団」に挑戦するイメージはどんどん消えてきました。
ある日、夢の中でアメリカのプロリーグにスカウトされました。
夢を見たことがきっかけで海外でソフトボールを続けることを決意。
2017年11月からオーストラリアのブリスベンに1年半ソフトボール留学し、QLD州(ソフトボールが最も盛ん地域)U23の代表に選ばれました。
オーストラリアで、自分のピッチングが通用したことが
自信になり、ソフトボール世界No.1のアメリカで、プロを目指すことを決めました。
人間、諦めなければ必ず夢は叶うと信じてここまで取り組んできました。
アメリカのプロになる事は、決して簡単なことではありません。
しかし、どうしてもこの夢を叶えて日本人初のプロソフトボール選手になりたいのです。
そして、日本から私以降にアメリカでプロになる選手を増やし、日本の競技力向上を図ります。
私のファンクラブにて、今後の展望をお伝えしておりますので、是非ご覧ください。
このファンクラブは、みなさんと一緒に夢を追いかけるためのコミュニティです。
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