ウィンターリーグSemi−Final通過しました〜Redlands QLD Australia〜
- 2018.08.14
- softball

2018年8月12日オーストラリアクイーンズランド州レッドランドウィンラーリーグ・セミファイナル
オーストラリアでソフトボールをしているアスリートライターの本庄遥です。
当日朝の衝撃だったチームメイトとの二つの出来事
先日、モーニングサイトステーションに迎えにきてもらいウィンターリーグの試合に向かっているときのこと。
友だち:ねーねー。今日からセミファイナルが始まると思うんだけど、はるか覚えてる?
私:え?聴いてないよ?笑
そんな朝から、始まり会場に向かいました。
私たちの予想通り、その日はセミファイナルでした。(後でFacebookグループを見たら誰か呟いてたから知らないはずない)
そんなゆるーい感じでグランドに着いたのですが、別の友だちが飲んでた飲み物を見て目を擦りました。
そうです。彼女は試合前にしっかりビールを飲んでいました。
衝撃を隠せなかった私は、一応確認してみると
友だち:え?今更?私毎試合前に飲んでるよ?笑
私:に、日本で一度も試合前にビール飲んでる人見たことないよ…笑
そんな感じで試合がはじまりました。
試合内容
今日の試合は、後攻から始まりました。
(1球目チェンジアップ、2球目ライズ、3球目ストレート)
ありがたいことに今シーズンもほとんどの試合で投手をさせてもらい、今日の試合も先発FP(守備専門)で試合が始まりました。
相手チームは、Sharks。
同じユニフォームを着た、同じレベルの同じチームのチームです。(わけわからんな。)
*簡単に説明すると、SharksB vs SharksA みたいな感じです。たまにいる人数多いから二つに分けたチームみたいな感じです。
私のコンディションは7/10くらいでした。なぜなら先日に男子ソフトボール部の子がやって来てノック打ってあげたりしてたら筋肉痛になリました。(セミファイナルの前にやることではない)
調子はというと、それなりに好調でした。
テンポもよく、チームの雰囲気も良かったです。
強いていうなら前日にチェンジアップを教えるために練習方法で届かないくらい回転かけろと言って、それをお手本で見せてて、試合で届かないくらいおっそいチェンジアップを投げて笑われたことぐらいです。
うちのチームの打撃はというと、かなり安定してみんな打っていました。
打っていたというより、相手のピッチャーが調子が悪かったみたいでライズボールが抜けてフォアボールの連続で押し出しもありました。
途中かなり試合全体がだらけてしまって、ショートの子に
ショートの子:今日この後パーティーやねん。あんまり疲れたくないからゆ〜くり投げて時間稼いで!!!!
と言われて、4回くらいにゆ〜くりテンポを崩して投げたら案の定打たれて三点取られました。
もともと6点リードだったのでダメージはありませんでしたが、もう二度とゆっくり投げてって言われても投げないことを誓いました。笑
もともと今日のテンポが良かったので、そのあとはほとんどヒットも打たれずに抑えました。
打撃面もそのあとはヒットで追加点を2点取り、結果3−8の圧勝で終わりました。
感想
今大会が始まる前は、正直絶不調の日が続きコールド負けも3回以上していました。(トータル15試合くらいした中で)
バッティングもチームとして乗り切らずしんどい時期が多かったです。
みんなでお互いの足を引っ張っていた時期もありましたが、トーナメントが近づくにつれて少しずつチームのまとまりも出てきて楽しんで試合をすることができました。
これは楽しんだ中での感想ですが、ソフトはやはり勝たないと楽しくはないです。
あと、英語を話せなくても楽しいけど、話せたら格段に楽しいです。
というか、チームメイトの言葉を理解できたら、というニュアンスですかね。
前回の試合あたりから、急にみんなのジョークが聞こえる!!!という感覚がありました。
それまでは、何言われても「あはは。」と流していたのですが、本当に最近聞こえて感動しています。(9ヶ月目でやっと。)
もちろん今までも楽しかったのですが、そこから急に楽しさが倍増しました。
英語は話せなくても、海外にこれる。でも英語が話せたらもっと楽しいというのが本音です。
私もまだまだ成長段階なので、頑張ります!
オーストラリアソフト、海外のソフトに興味がある方ぜひ連絡くださ〜い!
はるか
東京オリンピックへ向けて。〜プロへの挑戦〜
私は2020年3月10日からソフトボール世界No. 1の国であるアメリカのプロソフトボールチームに入団テストを受けに来ています。
身長は154㎝で体格は決して恵まれていません。
中学時代全国大会でベスト4、高校のインターハイで優勝、大学の関西リーグでは、防御率0で最優秀投手賞を受賞。
しかしながら、日の丸を背負って投げた試合は、日韓交流戦のたった一度だけ。
防御率はいいものの、決して三振をバンバン取れるピッチャーではなく、同年代の中でも目立ったピッチャーではありませんでした。
立命館大学に入学し、1回生の秋からほとんどの試合を任せてもらうようになり、エースとしてマウンドに立ち続けてきました。
しかし、過度な投球が原因で肩を負傷。
上野さんたちが戦っている日本ソフトボール界の頂点である「実業団」に挑戦するイメージはどんどん消えてきました。
ある日、夢の中でアメリカのプロリーグにスカウトされました。
夢を見たことがきっかけで海外でソフトボールを続けることを決意。
2017年11月からオーストラリアのブリスベンに1年半ソフトボール留学し、QLD州(ソフトボールが最も盛ん地域)U23の代表に選ばれました。
オーストラリアで、自分のピッチングが通用したことが
自信になり、ソフトボール世界No.1のアメリカで、プロを目指すことを決めました。
人間、諦めなければ必ず夢は叶うと信じてここまで取り組んできました。
アメリカのプロになる事は、決して簡単なことではありません。
しかし、どうしてもこの夢を叶えて日本人初のプロソフトボール選手になりたいのです。
そして、日本から私以降にアメリカでプロになる選手を増やし、日本の競技力向上を図ります。
私のファンクラブにて、今後の展望をお伝えしておりますので、是非ご覧ください。
このファンクラブは、みなさんと一緒に夢を追いかけるためのコミュニティです。
ぜひご入会いただき、一緒に夢を追いかけてみませんか? ファンクラブはこちらから
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