本庄遥ファンクラブ

オーストラリアで11ヶ月語学学校に行って変わった5つのこと。

オーストラリアで11ヶ月語学学校に行って変わった5つのこと。

 

「Yes NO 精一杯だけど英語話せるようになりたい!」

「今のレベルから語学学校に行くとしたらどれくらい行った方がいいの?」

 

そんな悩みを抱えている人も少なく無いと思います。

 

去年の11月からちょうど11ヶ月経った今の私の英語力がどのくらい伸びたのか、実感と具体的にできるようになったことについて書いて行きます。

 

初級→中上級レベルへ

 

私が入学したときはエレメンタリークラスというビギナーの次の初級のクラスでした。

そのときの英語力はもう皆無。

トーイックを受けたことがあるけど、リスニング中に全てとき終わっていました。(どれだけ英語に興味がなかったかわかりますよね?笑)

自己紹介をいろんなレベルがいる人の前でしなければいけなかったときは、とにかく自分をアピールしなければと思って

「I play softball!!!」

という言葉と同時にピッチングのシャドーイングをしました。

もちろんポピュラーじゃない国も多かったので、みんなポカーンですよね。笑

それが語学学校での私の始まりでした。

 

私が卒業するときには、英語を話すこと自体に自信もついてきてクラスでは下のクラスから上がってきた瞬間から、よく話す子だなと思っていたと友だちに言われたほどです。笑

それくらいスピーキングが上がっていましたし、積極的にわからないところを質問したりときには先生の間違いを指摘したり…笑

それくらいグラマーは強くなりましたし、流暢に話せなくても相手をあまり待たせないなと思えるくらいまでは話せるようになりましたね。

 

ストレスの塊→ストレスフリーへ

 

入学から2週間経った後、学校に行くたびに頭痛に襲われて行くのが少し嫌になった時期がありました。

学校は好きなのだけど、日本語から一気に英語生活に変わったせいで段階を踏まなかったが故に頭が混乱してしまっていました。

そこからできるだけ仲の良い友だちの隣に座って、少しでも気持ちを紛らわせていました。

 

今はと言いますと、日本語で話すと風を引いてしまうという現象が怒ったくらい英語生活にどっぷりとハマり、英語を話すことがむしろストレスがない生活になってきました。

もちろんリーディングやライティングはまだまだ、ボキャブラリーもまだまだこれからですが、現在の状態ですら英語を話している自分が好きだったり、自分を表現できる言葉だなと実感します。

 

話すことが怖い→むしろ英語がないと行きて行きけないまで

 

初めは発音を気にして、グラマーを気にして、日本語から直訳してしまう癖が抜けなくて、なかなか話し出すことすら難しかったです。

もちろんネイティブスピーカーの言っていることは10%わかるか分からないかだったし、特に向こうが0.1秒で話せることを1秒かかるくらいの速さで彼女たちが話すのでその時間待たせてしまっている申し訳なさもあったりして…(ちょー日本人っぽい。)

そんな風に英語を話すことに対してかなり恐怖感がありました。

 

11ヶ月経った今、オーストラリアの人に話しかけられることはもちろん平気だし、最悪わからなくても聞き返してみる、答えてみる、そしたら向こうが間違えて捉えてるんだなと気がついてくれて、「あ、私が言ったことはね」と言った感じで説明してくれます。

彼らもイラっとする人はかなり少なく、笑顔で対応してくれる人がほとんどですしそもそもセカンドランゲージの人に対して期待なんてしていません。

自分の意思を伝えることが大事だなって思いますし、たくさん友だちも作れるツールなので英語は私の人生の中で必須のものになってきています。

 

友だち0→道ゆく人全員友だちへ

 

もともとオーストラリアには1人で飛んできたので、友だちはもちろんいないし、知り合いすら1人もいない状態から始まりました。

全く不安はありませんでしたが、まあ最悪なんかあっても周りに簡単に手助けしてくれる人は居ないんだなあという感じでした。

 

もともと日本にいる時からそうでしたが、どうも話しかけやすいオーラ、簡単にお菓子で連れそうな雰囲気を漂わせているのか(?)道端でもよく話しかけられることが多いです。

現在フライトの中で文章を書いているのですが、今回は英語に自信も持ててきたし隣の人に「How are you?」 と話しかけてみました。

そこから、なんで日本に行くの〜?という話からいろんな話で盛り上がりちょー仲良くなって連絡先まで交換しました。笑

きっと英語が話せなかったらこんな風に楽しく話ができなかっただろうなと思うとゾッとしますね。笑

オーストラリアのパスポートかわいい!!!

日本人としか付き合えるわけない→海外の人としか付き合いたくない

 

この詳細はまだうまく書けない部分もあるので今回は深掘りはしません。笑

私が海外の人と恋に落ちる…なんて考えたこともなかったのですがもうごく自然にいつの間にか、好きになっていたんですよね彼のことを…。

またこの記事は完全に留学が終わったらノートの方にでも落とし込もうかと思っています。笑

キャッチャーの言いなり→自分の意思でピッチングができるまで

 

私がオーストラリアのチームに所属した当時は言語がわからないので伝えることもできずとにかくキャッチャーのいいなり、もしくは何も言わずに好きなところに投げるしか選択肢がありませんでした。

 

しかし、留学して日が経つに連れて私が投げたい場所を言えるようになったり、意思表示を試合中にできるようになったりなどいろんなことが少しずつできるようになりました。

試合中のタイムをとっている時間はもちろん限られますし、単刀直入に何をどうしたいのかを伝えなければいけなかったので、投げながら文章を一生懸命組み立てていました。

 

最後に

 

英語を話せるようになると、正直得るものしかないです。

ここまで利点が多い勉強ってあまりないのかなとも思っていますし、ぶっちゃけ筋トレと一緒で話せば話すだけ、スピーキングが伸びるし、書けば書くだけライティングが伸びるし、伸ばしたい場所にフォーカスすればそれだけ伸びます。

勉強方法は私が伸びたなと思うスピーキングとリスニングについて今度の記事で書いて行きたいと思います。

 

 

東京オリンピックへ向けて。〜プロへの挑戦〜


私は2020年3月10日からソフトボール世界No. 1の国であるアメリカのプロソフトボールチームに入団テストを受けに来ています。

身長は154㎝で体格は決して恵まれていません。


中学時代全国大会でベスト4、高校のインターハイで優勝、大学の関西リーグでは、防御率0で最優秀投手賞を受賞。

しかしながら、日の丸を背負って投げた試合は、日韓交流戦のたった一度だけ。

防御率はいいものの、決して三振をバンバン取れるピッチャーではなく、同年代の中でも目立ったピッチャーではありませんでした。
 
立命館大学に入学し、1回生の秋からほとんどの試合を任せてもらうようになり、エースとしてマウンドに立ち続けてきました。

しかし、過度な投球が原因で肩を負傷。

上野さんたちが戦っている日本ソフトボール界の頂点である「実業団」に挑戦するイメージはどんどん消えてきました。

ある日、夢の中でアメリカのプロリーグにスカウトされました。

夢を見たことがきっかけで海外でソフトボールを続けることを決意。

2017年11月からオーストラリアのブリスベンに1年半ソフトボール留学し、QLD州(ソフトボールが最も盛ん地域)U23の代表に選ばれました。
 
オーストラリアで、自分のピッチングが通用したことが
自信になり、ソフトボール世界No.1のアメリカで、プロを目指すことを決めました。
 
人間、諦めなければ必ず夢は叶うと信じてここまで取り組んできました。

アメリカのプロになる事は、決して簡単なことではありません。

しかし、どうしてもこの夢を叶えて日本人初のプロソフトボール選手になりたいのです。

そして、日本から私以降にアメリカでプロになる選手を増やし、日本の競技力向上を図ります。

私のファンクラブにて、今後の展望をお伝えしておりますので、是非ご覧ください。

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