フリーランス元鍼灸整骨院長さんにスポンサーになってもらいました!
- 2018.10.03
- sponsor

本庄遥の公式サイトを作ってから約2ヶ月ほど経ちました。
現在少しずつオーストラリアのソフトに興味がある人たちから連絡をもらうことが多くなってきて、チームを紹介したり相談に乗ることがあり、少しずつだけど私のブログも誰かに役に立ててるんだなと感じています。
今回はとある方から連絡を頂いたことがきっかけで、私自身の身体のサポートに対してのスポンサーになっていただきました。
公式サイトからのお問い合わせ
ある日メールボックスをチェックすると、とある方からメッセージが。
初めまして、福田亮と申します。オーストラリアでワーキングホリデーを使って英語の勉強をしに来ています。元々大阪で理学療法士と鍼灸師として8年程クリニックや整骨鍼灸院で勤務しておりました。突然の連絡させてもらった経緯なのですが、オーストラリアでもスポーツトレーナーの経験を積みたいと考えています。そこで、日本人のアスリートのサポートをすることが出来たらと考えています。身体のケアやコンディショニングのサポートなどをさせてもらうことが出来たらと思っています。もし、よければ一度お話することができたらと思っています。お忙しいとは思いますが、返事をお待ちしております。
その後直ぐに私の電話番号を送ってお電話したいことをお伝えすると、10分後くらいに電話がかかってきて2日後に会うことになりました。
全く顔もわからない、どんな方かもわからない、それでも彼にぐっと引き寄せられる感覚がありお会いすることに決めました。
パフォーマンスが出ない私への救世主
私自身、前回のQLDの大会でかなり打ち込まれてしまったことと肩の怪我の後から中々パフォーマンスが上がらないこともあり、かなり自信を失っていました。
福田さんにお会いした時に
「東京オリンピックを目指してるの?」
という質問に対し、即答することができず肩の怪我のこと、そのあとの私のパフォーマンスのお話、色んな病院にいったけど治らなかったことなど…とにかく全てお話ししましました。
その時に彼が言ってくれた言葉が
「一緒に東京オリンピック目指そう。トレーニングも全て見直そう。一緒に頑張ろう。」
怪我後の私の最後の最後のチャンスだと心に響いた言葉でした。
再びオリンピックへの道を目指す
本当は泣くほど悔やめない、何としてでも出場したい、あの舞台で戦ってみたい。
もちろんそんな気持ちは心の中にずっとありました。
誰がどう思おうと、自国で行われる東京オリンピックには憧れはあるし、価値をそこに見出せいないのは私がそこに立って戦えるほどのパフォーマンスが今ないから方向を無理やり変えようとしている自分もいました。
そんな中、今回の彼との出会いで私自身の何かが変わり、治るかもしれない、むしろ前よりももっと高いパフォーマンスで戦えるかもしれない、そんな風に感じました。
自分の力を最大限に出す方法を一緒に考える
お会いした当日に、そのまま施術をしてもらい、何がどうなっているのかどういう風に治していかないといけないのか、たくさんお話ししました。
理学療法士と鍼灸師の資格を持つ彼の施術は、両方の知識を兼ね備えている上、知識があまりない私ですら勤勉さ、本当に患者さんを治したいという気持ちが伝わってきました。
施術は想像以上のものでした。
肩の状態がなるのはもちろんのこと、元々持っていた腰の痛みに対してもかなり改善がされて身体が想像以上に軽くなりました。
これからの活動に対してのサポートをしてもらうことに
今回のスポンサーのカタチは「技術と時間」を提供してもらうことになりました。
オーストラリアは日本に比べ、医療費が高くそれが原因で海外の人が中々サポートにお金をかけられなかったことも事実です。
そんな中、福田さんから施術をしてもらうためにこちらにきてもらう事、そして施術をしていただけることになりました。
福田さんが所属されているグループ
全スタッフが医療系の国家資格を保有し、頑張っている人が報われるようなシステム作りをしたいという思いで、下記のような幅広い活動をしています。
企業での健康づくりをお手伝いする、コーポレートウェルネス事業。
知識や技術を向上し、幅広い選択肢をもってもらうためのセミナー事業。
身体のことで悩んでおられる方への鍼灸院、治療院運営事業。
頑張っているアスリートを支援するトレーナー事業。
東京オリンピックへ向けて。〜プロへの挑戦〜
私は2020年3月10日からソフトボール世界No. 1の国であるアメリカのプロソフトボールチームに入団テストを受けに来ています。
身長は154㎝で体格は決して恵まれていません。
中学時代全国大会でベスト4、高校のインターハイで優勝、大学の関西リーグでは、防御率0で最優秀投手賞を受賞。
しかしながら、日の丸を背負って投げた試合は、日韓交流戦のたった一度だけ。
防御率はいいものの、決して三振をバンバン取れるピッチャーではなく、同年代の中でも目立ったピッチャーではありませんでした。
立命館大学に入学し、1回生の秋からほとんどの試合を任せてもらうようになり、エースとしてマウンドに立ち続けてきました。
しかし、過度な投球が原因で肩を負傷。
上野さんたちが戦っている日本ソフトボール界の頂点である「実業団」に挑戦するイメージはどんどん消えてきました。
ある日、夢の中でアメリカのプロリーグにスカウトされました。
夢を見たことがきっかけで海外でソフトボールを続けることを決意。
2017年11月からオーストラリアのブリスベンに1年半ソフトボール留学し、QLD州(ソフトボールが最も盛ん地域)U23の代表に選ばれました。
オーストラリアで、自分のピッチングが通用したことが
自信になり、ソフトボール世界No.1のアメリカで、プロを目指すことを決めました。
人間、諦めなければ必ず夢は叶うと信じてここまで取り組んできました。
アメリカのプロになる事は、決して簡単なことではありません。
しかし、どうしてもこの夢を叶えて日本人初のプロソフトボール選手になりたいのです。
そして、日本から私以降にアメリカでプロになる選手を増やし、日本の競技力向上を図ります。
私のファンクラブにて、今後の展望をお伝えしておりますので、是非ご覧ください。
このファンクラブは、みなさんと一緒に夢を追いかけるためのコミュニティです。
ぜひご入会いただき、一緒に夢を追いかけてみませんか? ファンクラブはこちらから
-
前の記事
オーストラリアで11ヶ月語学学校に行って変わった5つのこと。 2018.10.02
-
次の記事
母校の創志学園で講演会を行いました。 2018.10.11