本庄遥ファンクラブ

アメリカ代表No .1ピッチャー「モニカ・アボット」は何者?〜英語でアボットと話してわかった彼女の正体とは?〜

アメリカ代表No .1ピッチャー「モニカ・アボット」は何者?〜英語でアボットと話してわかった彼女の正体とは?〜

 

前回もモニカ・アボットについて書きましたが、あまりアボット投手のすごさをシェアできてなかったですよね。(反省)

今回はその分、モニカ・アボットとは何者なのか?という部分を噛み砕いき、アボット選手がTOYOTAで活躍している理由、高身長で一見不思議な投げ方をして三振をどんどん奪っていく彼女のピッチングスタイルについて徹底解説していきます。

ではいくぞ!

ピッチングスタイルについて

まずはアボット投手のピッチングスタイルについて。
彼女の投げ方を見たことのある方はご存知だと思いますが、足を横にスライドさせて大きく前にステップするかなり独特な投げ方をしています。(このオフィシャルサイトの構えがかなり似てて可愛い…。)

見たことがない方はこちらで確認してみてくださいね↓

自分の身体を理解し、より自分を生かせるフォームに

この独特なフォームはアボット投手のこだわりと言えるでしょう。

自身が超身長だからということを理解した上であえて上下運動を行なって投げているそうです。(知り合いのフィジセラピスト情報)
ピッチャーであれば、自分の身体のことをわかって投げることは当然のはずなのですが、日本では特にそれができていない人の方がまだまだ多いです。

 

東京オリンピックに向けてできるだけ怪我をしないで投げる方法を考えて工夫していることが伺えますね。

気持ちがボールに伝わる投げ方

彼女の投球練習を見ていた時に感じたことです。
自分の気持ちを前面に出して「打てるもんなら打ってみろ」くらいの強い気持ちで投げていることがわかります。

ピッチャーによっては力みが入ってしまって、本領を試合で発揮できなかったりうまく気持ちとボールをコネクトできずに打たれてしまうケースも見られます。

アボット投手の投げ方は、気持ち×ボールに伝わる強さ加減 が非常に上手くスピンがかかったいいボールを投げ続けることができています。

特に生で投げている様子を見るとわかりやすいので、是非試合を直接見に行ってみてくださいね!

パーソナリティについて

次にアボット投手のパーソナリティについて書いていきます。

チーム想い&ファン想い

私もトヨタに先輩後輩がいることもあり、アボット投手の性格の良さを聞きました。
ピッチャー同士だからと言って特別敵対視することもなく、むしろチームで勝ちに行く想いが強いことがわかります。

また、私が一ファンとしてアボット投手にメッセージを送ったときにはできる限りメッセージを返してくれたり、返せないときにも既読は絶対、ハートを送ってれたり #FUNLOVE というハッシュタグとともにアボット投手のインスタに写真も載せてくれました。

人に対しての思いやりが強いことがわかりますよね。

自分が投げる<チームの勝利

アメリカの投手陣のスタイルは、大前提に「チームが勝つこと」を1番の目標において投げています。

日本もそうだ!と言われるとそこまでなのですが、エースのアボット投手が我がを出すのはマウンドだけで次にバトンを渡し、仲間を応援する姿はチームの勝利を常に考えてきた結果がこうなるんだなと心の底から感じました。

自分の成長<アメリカの将来

上記の内容と少しかぶるのですが、東京オリンピックに向けて、どうやったらアメリカがNo.1になれるのかを考えてピッチング指導を行ったり、積極的に自身でイベントを開いて子どもたちに教えたりなど先の先まで考えて成長しているんだなと感じます。

自分の成長よりアメリカの将来とは言いながらも、しっかりと自身のトレーニングもこなし、東京オリンピックに向けて備えている様子も伺えます。

 

最後に

同じ左ピッチャーとして、配給術も参考にもなりますし励みにもなります。
もしあなたが左ピッチャーであれば参考にもできますよね!

私も一左ピッチャーとして左ピッチャー特有の悩みを書いてみました。

迷っていることに対してアドバイスも載せてるので覗いてみてね♪

 

はるか

 

 

東京オリンピックへ向けて。〜プロへの挑戦〜


私は2020年3月10日からソフトボール世界No. 1の国であるアメリカのプロソフトボールチームに入団テストを受けに来ています。

身長は154㎝で体格は決して恵まれていません。


中学時代全国大会でベスト4、高校のインターハイで優勝、大学の関西リーグでは、防御率0で最優秀投手賞を受賞。

しかしながら、日の丸を背負って投げた試合は、日韓交流戦のたった一度だけ。

防御率はいいものの、決して三振をバンバン取れるピッチャーではなく、同年代の中でも目立ったピッチャーではありませんでした。
 
立命館大学に入学し、1回生の秋からほとんどの試合を任せてもらうようになり、エースとしてマウンドに立ち続けてきました。

しかし、過度な投球が原因で肩を負傷。

上野さんたちが戦っている日本ソフトボール界の頂点である「実業団」に挑戦するイメージはどんどん消えてきました。

ある日、夢の中でアメリカのプロリーグにスカウトされました。

夢を見たことがきっかけで海外でソフトボールを続けることを決意。

2017年11月からオーストラリアのブリスベンに1年半ソフトボール留学し、QLD州(ソフトボールが最も盛ん地域)U23の代表に選ばれました。
 
オーストラリアで、自分のピッチングが通用したことが
自信になり、ソフトボール世界No.1のアメリカで、プロを目指すことを決めました。
 
人間、諦めなければ必ず夢は叶うと信じてここまで取り組んできました。

アメリカのプロになる事は、決して簡単なことではありません。

しかし、どうしてもこの夢を叶えて日本人初のプロソフトボール選手になりたいのです。

そして、日本から私以降にアメリカでプロになる選手を増やし、日本の競技力向上を図ります。

私のファンクラブにて、今後の展望をお伝えしておりますので、是非ご覧ください。

このファンクラブは、みなさんと一緒に夢を追いかけるためのコミュニティです。

ぜひご入会いただき、一緒に夢を追いかけてみませんか?
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