世界トップレベルの日本を飛び出しあえて世界四強国で戦い日本代表を目指す理由。
- 2018.12.03
- softball

世界四強国で戦うソフトボーラー兼アスリートライターこと本庄遥です。
今回は私の自己紹介も兼ねて世界トップレベルの日本を飛び出してあえて世界四強国で戦い日本代表を目指す理由を紹介します。
勝つためだけにソフトをするのが嫌になった
私が一番初めに日本を飛び出したくなった理由は勝つためだけにフォーカスしてソフトをするのが嫌になったからです。
他の競技でもよくある事かもしれませんが、日本の教育方針としてどうしても「勝つこと」が大前提に来てしまいいつの間にか好きでやっていたソフトボールが使命感に変わっていることを実感しました。
バーンアウトを2回経験
中学生の時に全国大会ベスト4、高校ではインターハイ優勝。
正直他の人から見たら「うやらましい」「誰でもなれない」そんな風に思える好成績です。
しかし、そこで私が失ったのはソフトボールに対してのモチベーション。
実質小中高大へ上がる前にソフトボールを本気で辞めるかどうかの話は毎回出ていました。
その理由としては、「何のためにソフトボールをしているのかがわからなくなったこと」でした。
小中高までは「お父さんやお母さんに褒めてもらえるから、喜んでる顔が見たいから」これが最大の理由でした。
それが達成された「日本一」をとった高校のときに、気がつきました。
「達成された今、今後なんのためにソフトを続けるのだろう」と…。
怪我をしても責任感で投げるのが当たり前
インターハイ優勝の前にすでにソフトを続けることが決まっていた私は、正直モチベーションが上がらない時期がありました。
運よく立命館に入学した時のキャッチャーの方に一目惚れし、「この人と組みたい!」という一心でかなりモチベーションも上がりました。
4回生が抜けた秋リーグ後からは、ほとんどの試合を任せてもらい実質一回生からエースとして試合に出場していました。
そこで襲ってきたのが左肩が上がらないほどの大怪我。
これを経験する前までは、「目の前の試合で私が投げて勝てないくらいなら、今後一生投げれなくなってもいいから目の前の試合に勝ちたい」そんな思い出ピッチングをしていました。
その怪我を経験した後、実質完全完治には2年ほどかかり(その後もずっと無理して投げて続けていたから)現在に至ります。
韓国で試合をしたときに感じた「可能性」
高校時代に経験した「日韓交流戦」での出来事。
海外の人と戦うのは実際初めてで、正直イメージもなかったし海外の人には流石に打たれるだろう…とイメージ的にはあまりよくありませんでした。
しかし、戦ったときに感じたのは「チェンジアップの可能性」。
スピードもない、身長も低い私が韓国と戦うことができたのは間違いなく一番自信のあるチェンジアップの効果でした。
試合後には韓国の子達から「チェンジアップ!チェンジアップ!」と呼ばれ、そこで海外で私のチェンジアップを試したいという思いに変わりました。
実力を試したかった
このときに、他の国の人たちとも戦ってチェンジアップがどこまで通用するか試してみたい!と心の底から思いました。
しかし、日本リーグは世界的にもかなりいい環境でソフトボールができることも知っていましたし、日本にも海外の選手が何人か来ているので、日本でやっても海外の選手とも戦えます。
それでも私が海外に行ったのはある夢を見てから始まりました。
ウィルトンというアメリカのプロチームからスカウトされている夢をみる
3回生の秋頃に見たこの夢がきっかけで、起きてすぐに父に電話しオーストラリアの渡航を決めました。
現地の様子も全く知らない、グランドがちゃんとしているのか、チーム数はどのくらいあるのか、そんなことも知らないまま思い切って飛び込みました。
オーストラリアで更に可能性を感じ、アメリカへ
オーストラリアに渡航して、1年。
私は更に自分の可能性を感じました。
わずか一年で「QLD州 U23」に選ばれたのです。
それまでの戦績もサマーリーグ優勝、ウィンターリーグ優勝、Redlandというサバーブの大会にも選出されそれなりに戦績を残しました。
今回選ばれたQLDのチームは州の代表で年に一度唯一オーストラリア全土でオーストラリアナンバーワンを目指せる大会です。
この大会の出場権が今回与えられました。
このメンバーに選出されたことで、更に自信がついた私はアメリカ、そしてカナダを制覇して世界四強国で戦う選手として東京オリンピックを狙うことに決めました。
身長が低いからこそオリジナリティを
私が日本でソフトボールをしなくてよかったと感じたことは「身長で見られないこと」です。
そもそも海外の人と比べるとかなり身長が小さめな日本人は、海外の人と比べてしまい身長が低い選手はほとんど代表に入れない…ということもあります。
ではどうするか。
まずは海外で戦って実績を出して、「身長が低くても投げれる。」「むしろ関係ないのでは?」とまで言わせれるような選手になれるようにすることです。
今回はオーストラリアでは戦っているので、今後アメリカのトライアウトに挑戦し世界で実績を残して証明することが狙いです。
私が日本代表を目指す理由
冒頭で「何のためにソフトボールをやっているのかわからない時期があった」と言いました。
今私がソフトボールをやること、そして上を目指すことには意味があります。
それは「私が有名になることは世界中のソフトボーラーに夢や希望を与えられるから」です。
小さいから無理、スピードがないから無理、なんて言わせません。
逆にそれがオリジナリティになって、こんな風に日本代表を目指せるんだよということを証明します。
今後の目標
私が日本代表を目指す理由の最大の理由は、今後の目標と大きく繋がるからです。
私の最終目標は
世界中のソフトボーラーが、自分がしたいチーム、国でソフトボールを行える環境を作ること。
この目標を叶えるためには、まず自分自身が有名になることが一番の近道だと思います。
そのために、東京オリンピック、そしてフランスで行われるパリオリンピックでの野球、ソフトボールが競技として継続して行われるようにするために、動いていきます。
最後に
最後まで読んでいただきありがとうございます。
これからも精進していきますので、今後とも宜しくお願いします。
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東京オリンピックへ向けて。〜プロへの挑戦〜
私は2020年3月10日からソフトボール世界No. 1の国であるアメリカのプロソフトボールチームに入団テストを受けに来ています。
身長は154㎝で体格は決して恵まれていません。
中学時代全国大会でベスト4、高校のインターハイで優勝、大学の関西リーグでは、防御率0で最優秀投手賞を受賞。
しかしながら、日の丸を背負って投げた試合は、日韓交流戦のたった一度だけ。
防御率はいいものの、決して三振をバンバン取れるピッチャーではなく、同年代の中でも目立ったピッチャーではありませんでした。
立命館大学に入学し、1回生の秋からほとんどの試合を任せてもらうようになり、エースとしてマウンドに立ち続けてきました。
しかし、過度な投球が原因で肩を負傷。
上野さんたちが戦っている日本ソフトボール界の頂点である「実業団」に挑戦するイメージはどんどん消えてきました。
ある日、夢の中でアメリカのプロリーグにスカウトされました。
夢を見たことがきっかけで海外でソフトボールを続けることを決意。
2017年11月からオーストラリアのブリスベンに1年半ソフトボール留学し、QLD州(ソフトボールが最も盛ん地域)U23の代表に選ばれました。
オーストラリアで、自分のピッチングが通用したことが
自信になり、ソフトボール世界No.1のアメリカで、プロを目指すことを決めました。
人間、諦めなければ必ず夢は叶うと信じてここまで取り組んできました。
アメリカのプロになる事は、決して簡単なことではありません。
しかし、どうしてもこの夢を叶えて日本人初のプロソフトボール選手になりたいのです。
そして、日本から私以降にアメリカでプロになる選手を増やし、日本の競技力向上を図ります。
私のファンクラブにて、今後の展望をお伝えしておりますので、是非ご覧ください。
このファンクラブは、みなさんと一緒に夢を追いかけるためのコミュニティです。
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