オーストラリアで大活躍!共に戦ったオールラウンダーソフトボール選手に取材しました!
- 2019.07.17
- インタビュー記事

こんにちは!
ソフトボール選手の本庄遥(@number_1h)です。
今回は、オーストラリアで去年の9月からサマーシーズンを共に戦った、なつきを取材。(親しみを込めて、以下なつきと呼びます。)
彼女は、大阪出身で小学校の頃から水泳、サッカー、ミニバスケット、テニスなどのたくさんの習い事を掛け持ちしていました。
そのおかげか、ソフトボールでは現在オールラウンダー(ピッチャーキャッチャー以外)。
どこでも守れるジョーカー的存在です。
私はオーストラリアで3シーズン戦いましたが、そのうちの最後の1シーズンを共に戦いました。
結果は見事優勝。
チームを引っ張り、あらゆるMVPをかっさらって行きました…。(悔しい)
今回は、そんな、なつきを取材しオーストラリアで生活してみた感想を聞いてみました!
海外でソフトボールをしてみたいと思う人、興味がある人、ぜひ読んでみてくださいね!
サッカーを始めようと思ったら…
彼女がソフトボールを始めたのは中学生のとき。
一番初めに興味を持ったのは、サッカーでした。
しかし、サッカーは男子チームしかなく、入部を断られてしまいます。
女子のクラブ活動の候補は、剣道、バレーボール、ソフトボール。
父がPTAでソフトボールに携わっていたことが背中を押しました。
中学生のときに仲が良かった友だちが、高校でもソフトボールを続けることになり、大阪府の大会を見に行きます。
そのときに見た高校生のプレーに感動し、「こんな風になりたい、この人たちと戦ってみたい。」と思うようになりました。
文武両道を掲げる羽衣高校に
ソフトボール界では、激戦区である大阪府。
どの高校に行くかをかなり悩んだ結果ソフトボールも勉強もできる羽衣高校に入学。
全国大会に出られるレベルまで上り詰めたが、出場止まり。
初めて出場した全国大会でトップレベルの世界を見たことで、「大学はもっと高いレベルでソフトボールがしたい」と希望を抱くようになりました。
進学校を決めるために、有名大学3つを選択肢として考えます。
更に、子どもたちに教えることが好きだった、なつきは、体育教員の免許が取れるところを選択しました。
その中でも特に、なつき自身の雰囲気とマッチする園田大学に入学を決めることになります。
オーストラリアでソフトボールをすることを決意
私がオーストラリアに留学する前、なつきから相談を受けました。
「オーストラリア留学に興味があるから話が聞きたい。」
当時、私たちは試合をしたことは合ったものの、特別面識があったわけではなく、オーストラリア留学を通じて仲を深めていきました。
私が今持っている情報を伝えたり、現地に行ってからこまめに連絡を取り合ったり。
彼女が海外に行きたかった理由は、「海外の子どもたちへの指導方法に触れてみたいから。」
非常に魅力的な理由で、是非オーストラリアの人たちと関わってほしいなという気持ちが強くなりました。
いざ、オーストラリアへ
実際にオーストラリアに来てみてどうでしたか?と質問すると、
「練習も1週間に1回で、全体的に適当。笑 ウォームアップもなしでいきなりキャッチボールから練習が始まるのはびっくりした。試合前も全然アップしないし…。笑」
日本にいる間は、ほぼ毎日練習することが当たり前だった彼女にとって、オーストラリアでの練習はかなり少なく感じたと思います。
オーストラリアは、日本に比べると時間もルーズ。
9:00集合であれば、だいたい9:00くらいに到着していればOK。
とはいえ、遅れるときは「ソーリー。ちょっと遅れるー。」とみんなに連絡を入れておけば、怒られることはありません。
日本だと怒られてしまうようなことが、オーストラリアではごく当たり前のようにスルーされている現場にかなり驚いた様子でした。
オーストラリアのソフトボールのいいところ
なつきにオーストラリアのいいところを質問すると、こんなエピソードを教えてくれました。
「私が試合中、打てなくてベンチに帰った時『sorry…』って言いながら帰ると、『なんで謝るの?次打てばいんだよ!!』と力強く返してくれた。行動、言動、思考、全てがポジティブですごいなって思った。」
前回インタビューした栗田美穂さんも、大会中に打たれる場面があり、何度も「sorry」と言っていると、「謝るな!!申し訳ないと思わなくていいから!!じゃんじゃん投げな!!」と励ましてもらったそうです。
チーム内にもネガティブな人はほとんどいないし、本当に素敵な地域だと感じています。
そのほかには、
「オーストラリアでは、U17の子たちが下の子どもたちの指導をしている。人に教えることで自分にも技術が身につくので相乗効果があるなと思った。」
とオーストラリアの指導方法を評価。
日本だと大人が子どもに教えることが根付いており、子ども同士で教え合うことはほとんどありません。
幼い頃から「誰かに教える環境」が整っていることで、より技術が定着しますよね。
また、「オーストラリアの人たちはソフトボールを楽しくやることがモットーなんだろうなと思う。」
とお話ししてくれた彼女からは、新たなソフトボールに触れたことがどれだけ楽しかったのかがにじみ出ていました。
MVPを総ナメ。私が嫉妬した、なつきの実力
ーーー今回のシーズンでは、すべてと言っていいほどすべての賞を獲得したと思います。それについて感想を教えてください。
正直、こんなにたくさん賞をもらえると思っていなかったです。
自分の名前がスクリーンに上がったとき、かなりびっくりして。
オーストラリアに来てよかったな。という思いがより強くなった瞬間でした。
日本ではできなかった経験ができているので。
新しい友だちができたり、ソフトボールを通じて英語を話せるようになったり。
シーズンが終わってしまって、少しの間みんなと会えなくなるのが非常に寂しいです。
本当に恵まれた環境でソフトボールができたなと思います。
英語が不安な人たちへのメッセージ
ーーー最後に、英語が不安な人たちへ今何をするべきか、現地に着いた後からはどうするべきかを教えてください。
留学前にはとにかく単語を覚えましょう。笑
それに尽きると思います。
とは言っても、英語が全くできなくても楽しめます。
私も元々英語が全く話せなくて、クラスも下の方からスタートしました。
初めは学校でもらった紙になんて書いてあるかわからなくて、はるかに授業中ラインしたこともあります。笑
それくらい全く話せなかった私でも、チームメイトとソフトボールをすることは本当に楽しかったですね。
現地に着いてからは、とにかく笑顔で挨拶、ちょっとしたコミュニケーションをとるように心がけることです。
一言でもいいから、自分から積極的に話しかけてみることでみんな優しく話しかけてくれます。
勇気を持って話しかけることで、みんなとの距離が近くなっていくと思いますよ。
今後の展望
ーーー今後の目標、展望があれば教えてください。
30歳まではいろんなことをしてみたいですね。
海外に行って、いろんなスポーツ、ソフトボールを見てみたい。
そして、一通り学べることを学んだら、最終的には、子どもたちに指導していきたいと思っています。
海外で学んだことを「先生」というかたちに囚われず、子どもたちに教えられるような環境で働きたいですね。
ソフトボールを続ける選択肢を
私と、なつきが出会ったのは、関西大学リーグ。
実際にオーストラリアに来て一緒に試合をして意気投合したのは、「オーストラリアのソフトボールする環境最高じゃないか?!」ということ。
私自身、肩に怪我をして一度は挫折しかけたソフトボールで生きていく道を与えてくれたのはオーストラリアでした。
また、なつき自身も実業団を志望しており、ソフトボールをもう少し続けたい気持ちを抑え込み、教員になろうとしていました。
そんな2人に絶好のチャンスを与えてくれたのは「海外でソフトボールを続ける道」。
一番嬉しかったのは、なつき自身もまた、海外でソフトボールを続けていきたいといってくれた事です。
オーストラリアのソフトボールの環境にはまり、次はQLD州への大会のために一度日本に帰国してお金を貯めてまたオーストラリアへ戻るそうです。
なつきも他の国にも挑戦したいと言っており、どこかの国でまた一緒にプレーできる日を楽しみにお互い活動していきたいと思います!
東京オリンピックへ向けて。〜プロへの挑戦〜
私は2020年3月10日からソフトボール世界No. 1の国であるアメリカのプロソフトボールチームに入団テストを受けに来ています。
身長は154㎝で体格は決して恵まれていません。
中学時代全国大会でベスト4、高校のインターハイで優勝、大学の関西リーグでは、防御率0で最優秀投手賞を受賞。
しかしながら、日の丸を背負って投げた試合は、日韓交流戦のたった一度だけ。
防御率はいいものの、決して三振をバンバン取れるピッチャーではなく、同年代の中でも目立ったピッチャーではありませんでした。
立命館大学に入学し、1回生の秋からほとんどの試合を任せてもらうようになり、エースとしてマウンドに立ち続けてきました。
しかし、過度な投球が原因で肩を負傷。
上野さんたちが戦っている日本ソフトボール界の頂点である「実業団」に挑戦するイメージはどんどん消えてきました。
ある日、夢の中でアメリカのプロリーグにスカウトされました。
夢を見たことがきっかけで海外でソフトボールを続けることを決意。
2017年11月からオーストラリアのブリスベンに1年半ソフトボール留学し、QLD州(ソフトボールが最も盛ん地域)U23の代表に選ばれました。
オーストラリアで、自分のピッチングが通用したことが
自信になり、ソフトボール世界No.1のアメリカで、プロを目指すことを決めました。
人間、諦めなければ必ず夢は叶うと信じてここまで取り組んできました。
アメリカのプロになる事は、決して簡単なことではありません。
しかし、どうしてもこの夢を叶えて日本人初のプロソフトボール選手になりたいのです。
そして、日本から私以降にアメリカでプロになる選手を増やし、日本の競技力向上を図ります。
私のファンクラブにて、今後の展望をお伝えしておりますので、是非ご覧ください。
このファンクラブは、みなさんと一緒に夢を追いかけるためのコミュニティです。
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