〜ヨーロッパに向けての新しい挑戦〜

オーストラリアでのソフトボール生活を振り返って。

オーストラリアでのソフトボール生活を振り返って。

 

海外のローカルチームでソフトボールをしながら、東京オリンピック代表選手を目指すアスリートライターの本庄遥(@number_1h)です。→アスリートライターとは?

 

オーストラリアでソフトボールをして、約1年半経ちました。

英語が全く話せない状態で、オーストラリアのブリスベンリーグに入り
必死に戦ってきました。

 

結果としては、

サマーリーグ2年連続リーグ優勝
ウィンターリーグ準優勝
QLD州U23メンバー

としっかりチームにも貢献できて、結果を残すことができました。

渡航する前の私

 

オーストラリアに渡航する前は、立命館大学でソフトボールをしながら授業を受け、
バイトをするどこにでもいる学生アスリートでした。

肩の怪我から成績も高校の成績を大きく下回り、
ピッチャーとしての自信も少しずつ失いかけていました。

 

もう二度と、ピッチングができないかもしれない。

 

心のどこかでそんな気がしてなりませんでした。

怪我をした後、半年間ほとんど投げられなかったことも、
その後のピッチング人生に大きな影響をもたらしました。

オーストラリアに行ったことのきっかけは、とある夢でした。

でも大学1年生のときは

「実業団に挑戦したい」

という夢を持っていました。

肩を怪我して自信を失っていた私にとって、
オーストラリアに行くことは「挑戦」でもあり「逃げ」でもありました。

 

オーストラリアのソフトボール

 

オーストラリアのソフトボールを一言で表すなら、

 

Australian softball players always play for fun.

 

です。

とにかくみんな楽しむためにソフトボールをしているんですよね。

もちろん日本でも楽しくソフトボールをする環境はあると思いますが、
一人ひとりのソフトボールに対して、価値観が違うことを理解しあっています。

ある人はオーストラリア代表を目指してやっていますし、
別の人はダンス、フットボールの次にソフトボールが好きだからチームに入っているという人もいます。

人によって全然ソフトボールの優先順位が違うことを認めてもらえます。

関連記事:ぶっちゃけオーストラリアのソフトボール環境ってどうなの?

 

海外でソフトボール経験をしたことで得たもの

 

私がオーストラリアでソフトボールをして得たものが2つあります。

原点回帰できた

私が高校のときに日本一を経験してから、
自分自身がなぜソフトボールをしているかについて自問自答を繰り返していました。

楽しくて始めたソフトボールがいつの間にか「勝つため」に変わってしまい、
負けることに対する異常な恐怖感を持ちながら投げ続けました。

スポーツで言語の壁は超えられる

よく聞く言葉ですが、スポーツは言葉を超えます。

私と同じチームで半年間、日本人の友だちとプレーした人が今回大活躍し、
英語が話せないうちからかなりチームに溶け込み今では大人気に。

彼女を見ていると、英語を話せるかそうじゃないか以前に
常にチームに貢献しようという姿勢がみんなにも伝わっているように感じました。

 

海外に出て変わったこと

 

私はオーストラリアに行ってから、自分の感情に素直になりました。

泣きたいときに泣く、嫌なときにやめる、楽しいときに思いっきり楽しむ。

そんな当たり前のことを日本ではできていなかったなと思います。

仕事の関係や人間関係でどうしようもできないことがあるように感じますが、
そもそも自分がどう動くかは自分で決めることができます。

それに気がつくことができたのは、間違いなくオーストラリアのお陰です。

 

チームメイトと一緒にいるときに、みんな表情が豊かなんですよね。

自分の感情に向き合ってるからこそ、でる表情だなと思います。

それを近くで見たときに、もっと自分の感情に素直になっていいんだなと感じました。

 

私にとってのオーストラリア

 

 

一昨年の11月から今日まで。

長かったようで、本当に短かったです。

肩の怪我で失った自信はオーストラリアでほとんど取り戻した気がします。

最近感じましたが、私がソフトボールを続けるのはただ単に楽しいからという理由の他に
たくさんの人に感動を与えられるからです。

 

正直、オーストラリアでソフトボールを一生できたらすごく楽しいだろうなと思います。

頼れるキャッチャーを始め、たくさんの素敵な選手もいて毎年楽しく生活できそうだなと感じています。

心地よい環境だからこそ、もっと挑戦したいと思う私は少し損なのかもと思う瞬間はあります。

それでも新しい環境に挑戦するのは、成し遂げたいことがあるからです。

 

私は、世界中にこんな風にソフトボールができる環境を増やし続けます。

できれは仕事を一緒に見つけてあげられるくらい濃い人脈を現地で作りたいと思っています。

夢が大きく、叶えるのに時間はかかりますが一歩ずつ一歩ずつ範囲を広げていきたいと思います。

 

スポンサー様、ファンの方へ

いつも応援してくださり、私のことをサポートしていくださり本当にありがとうございます。

私がオーストラリアでソフトボールができたのは、間違いなくスポンサー様、ファンの方々のお陰です。

今後も夢を追い続け、叶えていくので末長く応援よろしくお願いします。

本庄遥

 

 

 

 

東京オリンピックへ向けて。〜プロへの挑戦〜


私は今年の10月に、
ソフトボール世界No. 1の国である
アメリカのプロソフトボールチームに
入団テストを受けに行きます。

身長は154㎝で体格は決して恵まれていません。


中学時代全国大会でベスト4、
高校のインターハイで優勝、
大学の関西リーグでは
防御率0で最優秀投手賞を受賞。

しかしながら、
日の丸を背負って投げた試合は、
日韓交流戦のたった一度だけ。

結果は出ているものの
決して三振をバンバン取れるピッチャーではなく、
同年代の中でも
目立ったピッチャーではありませんでした。
 
立命館大学に入学し、
1回生の秋から
ほとんどの試合を任せてもらうようになり、
エースとしてマウンドに立ち続けてきました。

しかし、投げすぎが原因で肩を負傷。

上野さんたちが戦っている
日本ソフトボール界の頂点である
「実業団」に挑戦するイメージは
どんどん消えてきました。

ある日、「アメリカのプロリーグにスカウトされる」
夢を見たことがきっかけで
海外でソフトボールを続けることを決意。

2017年11月から
オーストラリアのブリスベンに
1年半ソフトボール留学し、
QLD州(ソフトボールが最も盛ん地域)U23の代表
に選ばれました。
 
オーストラリアで
自分のピッチングが通用したことが
自信になり、
ソフトボール世界No.1のアメリカで
プロを目指すことを決めました。
 
人間、
諦めなければ必ず夢は叶うと信じて
ここまで取り組んできました。

アメリカのプロになる事は、
決して簡単なことではありません。

しかし、どうしてもこの夢を叶えて
日本人初のプロソフトボール選手に
なりたいのです。

そして、日本から私以降に
アメリカでプロになる選手を増やし、
日本の競技力向上を図ります。

私のプロフィールにて、
今後の展望をお伝えしておりますので、
是非ご覧ください。

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