プロフィール
自己紹介
はじめまして!ご覧いただきありがとうございます。
フリーソフトボール選手の本庄遥(@number_1h )と申します。
小学校2年生のときにソフトボールを始め、現在18年目。
30社とスポンサー契約を経験。
現在は、ソフトボールをリブランディングするべくNPO法人の立ち上げをしていたり、英語学習を習慣化する「90 English」で執行役員CHO(chief happiness officer)をやったり、ホテルや飲食店を月額5,400円でコワーキングスペースとして利用ができる「ワークスルー」のマーケティング責任者をしています。
スポーツ業界初の「フリーアスリート」という新しい生き方を発信中です。
私がブログを書いて、発信している最大の理由は「自信を持ってソフトボールを人に勧められる競技にするため」です。
東京オリンピックで日本が優勝しました。
しかし、世界的に見るとそれはオリンピック競技から遠ざかってしまったとも言えます。
再びオリンピック競技として復活させるために、今回最下位になってしまったヨーロッパ代表として出場したイタリアを中心にソフトボールを普及、そして強化させるために活動をしています。
私の活動をお伝えする前に、簡単な自己紹介をさせて頂きます。
・1996年3月29日生まれ。O型。
・身長154cm。サウスポーピッチャー。
・趣味は読書📕。
・小学2年生から地元の子ども会のチームでソフトボールを始める。
・中学時代、最後の試合でセンターを守り、2番手ピッチャーのまま引退。
・高校時代、インターハイ優勝。(防御率0)
・大学1回生のとき、防御率0で最優秀投手賞を受賞。
・大学2回生の時に肩を怪我し、自分にとってのソフトボールの大切さを知る。
・とある夢がきっかけでオーストラリアにソフトボール留学。
・オーストラリアQLD州U23に選ばれる。
・ポーランド代表としてヨーロッパ大会出場。
・アメリカのプロソフトボールリーグに挑戦。しかし、コロナで帰国。
・2021年7月スウェーデン国内一位二位を争うチームからオファーをもらい渡航。
・スポンサー30社と契約経験。
本庄遥の足跡
本庄遥、誕生。
1996年3月29日16:16に誕生。
親の転勤の関係で、横浜生まれの東京育ち。(出身は兵庫県高砂市。)
0歳〜5歳までは関東で育つ
保育園に入るタイミングで兵庫県に転勤が決まる。
入園式の申し込みに間に合わず、転入生として入園。
親からすると、私が関東の言葉を使うことと転入生になってしまったことでイジメられないかが心配だったそう。
しかし大げんかした女の子と、大親友になる。
小学生2年の夏、ソフトボールと出会う。
小学校2年生のときに通っていた学童保育(アフタースクール)の2つ上のお姉ちゃんたちから
「ソフトボール一緒にしない?」
と誘われたことがきっかけで、子ども会のソフトボールクラブに入部。
幼い頃から目立ちたがり屋だった私は、試合の8割を決めると言われるピッチャーになる。
3年生のときに、ソフトボールに行くことが嫌になり「お腹痛い」と休む日々が増える。
3週連続休んだ日、母から
「辞めるんやったらユニフォーム代払ってね。」
と言われる。
小学生の私にとって大金だったため、焦りを感じまたソフトボールの練習に行き始める。
6年生のとき、当時強豪チームだった「米田レッドボンバーズ」というチームに入る。
同じ市のチームから「6年生だけのチームを作ろう!」と誘ってもらい、引退を延期。
一緒のチームになった友だちが、中学生でソフトボールを続けることを耳にし、中学校でもソフトボールを続けることを決意。
両親の協力もあり、住所変更をして強豪校宝殿中学校に入学。
2番手のまま引退。
中学生の頃、同級生のピッチャーが全国でもトップレベル。
負けず嫌いだった私は、とにかく食らいつき一度はエースを奪還。
しかし怪我が重なり、引退試合では2番手でセンターをメインで守った。
エースだった子は、U16の代表選手として選ばれるほどの実力者。
最終結果は全国大会ベスト4。
結果にも満足していた私は、卒業後公立高校で野球部のマネージャーをすることを決意。
引退後はソフトボールを一切せず、進学のために塾に通う。
しかし、塾の系列校の「創志学園高校」から、通っていた塾に一本の電話がかかってくる。
「特待生として本庄さんを受け入れたい」この連絡を受け、再度ソフトボールに引き寄せられる。
直感的に
「もう一度ソフトボールをして、エースになりたい」
と強く思い、創志学園高校を専願で受けることを決意し、ソフトボール生活が再開。
悲願の日本一へ
寮生活、携帯使用禁止、恋愛禁止、髪の毛はショートカット。
3年間、唯一の楽しみが仲間と一緒に受ける授業だったほど、すべての時間をソフトボールに費やす。
結果、岡山勢初全国大会優勝を成し遂げる。
その後、優勝校に送られる「日韓交流戦」にて、初めてJapanのユニフォームに袖を通す。
初めての日の丸経験
ピッチャーとしてマウンドに立ち、自分の得意球チェンジアップ(バッターの手元で落ちるボール)を投げるたびに、韓国人代表たちから笑い声が起こった。
試合終了後、相手チームのメンバーから「チェンジアップ!チェンジアップ!」と呼ばれ、海外でも自分のピッチングが通用する可能性があることに気がつく。
この頃から、海外でソフトボールをすることに魅力を感じ始める。
確信と絶望
大学1回生の秋から、ほとんどの試合で登板させてもらう。
秋の関西リーグで防御率0で最優秀投手賞を受賞する。
その後も2度防御率のランキング入り。
「これならきっと実業団(上野さんらが戦っている日本リーグ)でも戦える」
と確信し、実業団に入団することを決意。
しかし、2回生の秋の大会終了後、肩が全く上がらなくなる。
病院に行ったものの、原因が一切わからず、何をしても治らない日々が続く。
目標だった実業団へ入団するイメージも徐々に消えていく。
「夢」からのヒント
途方に暮れ、進路に迷い始めているとき
世界ランク1位のアメリカのプロリーグからスカウトをされているぞ
という夢を見る。
ただの夢だったが、高校のときに経験した日韓交流戦での経験が後押しし、
「もっと外国人バッターと戦って強くなりたい」
と北京オリンピック銅メダルを獲得した、オーストラリアへの留学を決意。
オーストラリアへの道のり
オーストラリアに渡航することだけを決定し、その後は留学エージェントに相談。
先輩が紹介してくれたオーストラリアのエースである、カーヤ・パーナピーが所属する「Saints」に入部が決定。
エージェントから、トビタテ留学ジャパン(留学生を支援する奨学金)の存在を教えてもらい、受けてみることに。
無事に試験を通過し、オーストラリアでの生活費を確保。
オーストラリアでの生活
英語力0で渡航。(当時のTOEICの点数は110点)
知り合いが全くいない中での生活で、人生初めてのホームシック。
6ヶ月間は、同じチームメイトたちが、何を話しているのかほとんど聞こえなかった。
語学学校に11ヶ月、その後J-Shine(小学校教員免許)兼TECSOL(英語第二言語者へ英語を教える資格)を習得。
入部直後からエースに。
オーストラリア代表に選ばれている人たちがいるチームと初めて試合をしたとき、日本国内での配球(作戦)が全く通用せず打たれまくる。
その後、キャッチャーの配球を信じ投げ続ける中で、オーストラリア人に対しての配球を身に着ける。
サマーシーズン2連覇、ウィンターシーズン準優勝。
そしてQLD州(クイーンズランド州)U23に抜擢され、身長も、国籍も関係ない、オーストラリアの環境に感銘する。
オーストラリアに行く前に知っておいたほうがよかった情報を随時ブログで発信。
オーストラリア生活での裏エピソード
留学中支給されるはずだった奨学金が、チーム変更等が重なり一時ストップ。
留学中、資金難に陥る。
オーストラリアで生き延びる方法を考え、スポンサー契約を結んでもらえる会社を募集。
Find-FCのページを見つけ、登録。
そこから、Find-FC以外でもスポンサーを獲得していった。
2019年3月に日本に帰国し、復学。
2017年11月〜2019年3月までオーストラリアに留学した後、日本に帰国して立命館に復学。
単位修得のために大学には通っていたが、月2回以上は上京し、人との出会いには時間とお金を惜しまなかった。
さらに、2019年8月に「本庄遥ファンクラブ」を設立。
2019年8月ポーランド代表に。
ポーランド代表として、ソフトボールをしに渡航。
アメリカのプロリーグに挑戦するための最終調整をした。
2020年3月アメリカプロリーグ挑戦。
アメリカのプロリーグに挑戦をするも、コロナの影響でトライアウト自体もなくなり、やむをえず帰国。
そこから1年半以上路頭に迷う。
2021年7月スウェーデンからのオファー。
ヨーロッパ大会の常連でもあるスウェーデン国内トップを争うチームから、「うちのチームで今年大会に出てくれないか」とオファーをもらう。
クラウドファンディングで150万円以上を集め、渡航。
現在もヨーロッパで活動中。
本庄遥のこれから
少し余談なのですが、私自身、
「ソフトボールが大好き!」
と思っていながらも、
小学生の子どもたちに教えるとき、
どこか後ろめたい気持ちがありました。
なぜなら、中高生で強豪校で続けるためには
「可愛らしさ」や「おしゃれ」を捨てなければいけないからです。
小学生の頃、髪が長かった私にとって
髪を短くしなければいけない部活の規則は本当に辛かったです。
恋愛禁止、携帯禁止、日焼け止めも塗れない…。
どうしてもソフトボールを強豪校で続けたかった私は、
「女心」を捨てて、全てをソフトボールに捧げました。
その結果、日本一になることもでき、
今のキャリアにも非常に生きてきてはいるものの、
「こんなに女の子を捨てなければいけない競技、これからの時代に続ける人はいるのだろうか。自分に娘ができたとき、私は娘に自信を持ってソフトボールを進めることはできるのだろうか。」
と不安に思いました。
さらに、今回日本ソフトボールが東京オリンピックで優勝した時、もしかしたら今後二度とソフトボールが復帰しないかもしれないという危機感にかられて、ヨーロッパを初め、世界的にソフトボールを普及させるための活動をはじめました。
夢を追いかけたい人へ
2019/8/1。
一緒に夢を追いかけていく人へのファンクラブを立ち上げました。
ブログやSNSで発信できないエピソード、スポンサー獲得をするためにどのような活動をしているのかを毎朝発信しています。
メルマガのように思ってくださって構いません。
使い方は自由で、毎朝読むだけで今日一日の活動にプラスアルファで考え方を追加したり、一緒に頑張ろうと夢を追いかけるための後押しをさせていただきます。
名目は「本庄遥ファンクラブ」となっていますが、実際に内容はファンの方に向けたファンレター的なものではなく、日々の活動報告(スポンサー獲得のための動きや、ピッチング教室のやり方、メンタルコーチングを受けている様子を生配信)など、アスリートには欠かせない情報がぎっしり詰まっています。
さらに、メンタルコーチングの講師をされている台本さんや、トレーナーの講師をされている服部拓也くんをスペシャルアドバイザーとしてお招きしており、私が海外で活動している最中もセミナーなども行う予定です。
月額1,000円でアスリートの方にも負担にならない程度に最大限考慮しております。
前回のクラウドファンディングで25万円の目標に対して、50万円の資金調達を達成したこともあり、キャンプファイヤーの方からは「少し低すぎるのでは?」とのご連絡を頂いたりもしました。
しかし、私がスポンサーを探し始めた時の自分の金銭的な苦しさを思い出すと、アスリートに対してはできるだけ負担を減らしたいと考えました。
フィジカル面、メンタル面、そしてブランディング面とすべてのことをサポートできるシステムにしておりますので、マイナスになることはまずありません。
また、スポンサー契約をしてくださった方々は「金銭的な目的よりもとにかく応援したい」と言ってくださる方ばかりで、場合によっては、私のファンクラブにご入会されている方からスポンサー契約まで繋がる可能性も十分あります。(現在スポンサー契約をしていただいている方もファンクラブに招待しています。)
たった一度のカラオケに行く回数を減らす、友だちと飲みにいく時間とお金を自己投資に使う、コンビニでお菓子を買うことをやめる、ひと月のほんの少しの我慢があなたの「応援され力」を磨きます。
現在、アスリートとして入っている方はおられませんので、積極的にスポンサー獲得や自己ブランディングについてのご相談にも乗らせていただきたいと思います。
1人でも多くのアスリートを救えることを願っています。
ご入会はこちらから。