プロフィール
自己紹介
はじめまして!ご覧いただきありがとうございます。
フリーソフトボール選手の本庄遥(@number_1h )と申します。
小学校2年生のときにソフトボールを始め、現在17年目。
18社とスポンサー契約を結び、ファンクラブを立ち上げたりして、「フリーアスリート」という新しい生き方を発信中です。
アスリートである私が、ブログを書いて発信している理由は、ソフトボールができる環境は日本国内だけじゃないことを広めるためです。
これから、
この思想になった理由について書いていきます。
その前に簡単な自己紹介をさせて頂きます。
・1996年3月29日生まれ。O型。
・身長154cm。サウスポーピッチャー。
・趣味は読書📕。
・小学2年生から地元の子ども会のチームでソフトボールを始める。
・中学時代、最後の試合でセンターを守り、2番手ピッチャーのまま引退。
・高校時代、インターハイ優勝。(防御率0)
・大学1回生のとき、防御率0で最優秀投手賞を受賞。
・大学2回生の時に肩を怪我し、自分にとってのソフトボールの大切さを知る。
・とある夢がきっかけでオーストラリアにソフトボール留学。
・オーストラリアQLD州U23に選ばれる。
・現在、アメリカのプロソフトボールリーグに挑戦するために日本国内で修行中。
・スポンサー15社と契約。
本庄遥の足跡
本庄遥、誕生。
1996年3月29日16:16に誕生。
親の転勤の関係で、横浜生まれの東京育ち。
0歳〜5歳までは関東で育つ
保育園に入るタイミングで兵庫県に転勤が決まる。
入園式の申し込みに間に合わず、転入生として入園。
親からすると、私が関東の言葉を使うことと転入生になってしまったことでイジメられないかが心配だったそう。
しかし大げんかした女の子と、大親友になる。
小学生2年の夏、ソフトボールと出会う。
小学校2年生のときに通っていた学童保育(アフタースクール)の2つ上のお姉ちゃんたちから
「ソフトボール一緒にしない?」
と誘われたことがきっかけで、子ども会のソフトボールクラブに入部。
幼い頃から目立ちたがり屋だった私は、試合の8割を決めると言われるピッチャーになる。
3年生のときに、ソフトボールに行くことが嫌になり「お腹痛い」と休む日々が増える。
3週連続休んだ日、母から
「辞めるんやったらユニフォーム代払ってね。」
と言われる。
小学生の私にとって大金だったため、焦りを感じまたソフトボールの練習に行き始める。
6年生のとき、当時強豪チームだった「米田レッドボンバーズ」というチームに入る。
同じ市のチームから「6年生だけのチームを作ろう!」と誘ってもらい、引退を延期。
一緒のチームになった友だちが、中学生でソフトボールを続けることを耳にし、中学校でもソフトボールを続けることを決意。
両親の協力もあり、住所変更をして強豪校宝殿中学校に入学。
2番手のまま引退。
中学生の頃、同級生のピッチャーが全国でもトップレベル。
負けず嫌いだった私は、とにかく食らいつき一度はエースを奪還。
しかし怪我が重なり、引退試合では2番手でセンターをメインで守った。
エースだった子は、U16の代表選手として選ばれるほどの実力者。
最終結果は全国大会ベスト4。
結果にも満足していた私は、卒業後公立高校で野球部のマネージャーをすることを決意。
引退後はソフトボールを一切せず、進学のために塾に通う。
しかし、塾の系列校の「創志学園高校」から、通っていた塾に一本の電話がかかってくる。
「特待生として本庄さんを受け入れたい」この連絡を受け、再度ソフトボールに引き寄せられる。
直感的に
「もう一度ソフトボールをして、エースになりたい」
と強く思い、創志学園高校を専願で受けることを決意し、ソフトボール生活が再開。
悲願の日本一へ
寮生活、携帯使用禁止、恋愛禁止、髪の毛はショートカット。
3年間、唯一の楽しみが仲間と一緒に受ける授業だったほど、すべての時間をソフトボールに費やす。
結果、岡山勢初全国大会優勝を成し遂げる。
その後、優勝校に送られる「日韓交流戦」にて、初めてJapanのユニフォームに袖を通す。
初めての日の丸経験
ピッチャーとしてマウンドに立ち、自分の得意球チェンジアップ(バッターの手元で落ちるボール)を投げるたびに、韓国人代表たちから笑い声が起こった。
試合終了後、相手チームのメンバーから「チェンジアップ!チェンジアップ!」と呼ばれ、海外でも自分のピッチングが通用する可能性があることに気がつく。
この頃から、海外でソフトボールをすることに魅力を感じ始める。
確信と失望
大学1回生の秋から、ほとんどの試合で登板させてもらう。
秋の関西リーグで防御率0で最優秀投手賞を受賞する。
その後も2度防御率のランキング入り。
「これならきっと実業団(上野さんらが戦っている日本リーグ)でも戦える」
と確信し、実業団に入団することを決意。
しかし、2回生の秋の大会終了後、肩が全く上がらなくなる。
病院に行ったものの、原因が一切わからず、何をしても治らない日々が続く。
目標だった実業団へ入団するイメージも徐々に消えていく。
「夢」からのヒント
途方に暮れ、進路に迷い始めているとき
世界ランク1位のアメリカのプロリーグからスカウトをされているぞ
という夢を見る。
ただの夢だったが、高校のときに経験した日韓交流戦での経験が後押しし、
「もっと外国人バッターと戦って強くなりたい」
と北京オリンピック銅メダルを獲得した、オーストラリアへの留学を決意。
オーストラリアへの道のり
オーストラリアに渡航することだけを決定し、その後は留学エージェントに相談。
先輩が紹介してくれたオーストラリアのエースである、カーヤ・パーナピーが所属する「Saints」に入部が決定。
エージェントから、トビタテ留学ジャパン(留学生を支援する奨学金)の存在を教えてもらい、受けてみることに。
無事に試験を通過し、オーストラリアでの生活費を確保。
オーストラリアでの生活
英語力0で渡航。(当時のTOEICの点数は110点)
知り合いが全くいない中での生活で、人生初めてのホームシック。
6ヶ月間は、同じチームメイトたちが、何を話しているのかほとんど聞こえなかった。
語学学校に11ヶ月、その後J-Shine(小学校教員免許)兼TECSOL(英語第二言語者へ英語を教える資格)を習得。
入部直後からエースに。
オーストラリア代表に選ばれている人たちがいるチームと初めて試合をしたとき、日本国内での配球(作戦)が全く通用せず打たれまくる。
その後、キャッチャーの配球を信じ投げ続ける中で、オーストラリア人に対しての配球を身に着ける。
サマーシーズン2連覇、ウィンターシーズン準優勝。
そしてQLD州(クイーンズランド州)U23に抜擢され、身長も、国籍も関係ない、オーストラリアの環境に感銘する。
オーストラリアに行く前に知っておいたほうがよかった情報を随時ブログで発信。
オーストラリア生活での裏エピソード
留学中支給されるはずだった奨学金が、チーム変更等が重なり一時ストップ。
留学中、資金難に陥る。
オーストラリアで生き延びる方法を考え、スポンサー契約を結んでもらえる会社を募集。
Find-FCのページを見つけ、登録。
そこから、Find-FC以外でもスポンサーを獲得していった。
2019年3月に日本に帰国し、復学。
2017年11月〜2019年3月までオーストラリアに留学した後、日本に帰国して立命館に復学。
単位修得のために大学には通っていたが、月2回以上は上京し、人との出会いには時間とお金を惜しまなかった。
その結果、現在(2019年8月15日時点)では15社とのスポンサー契約を実現し、マネジメント契約を結んだ。
さらに、2019年8月に「本庄遥ファンクラブ」を設立。
ファンだけに向けてのコミュニティではなく、日々の活動(スポンサー獲得のための動き、ブランディング)などについても赤裸々に綴り、スポンサー獲得に悩むアスリートにもためになる情報を発信している。
本庄遥のこれから
ここまで、
私の過去のストーリーについてお話ししました。
これからは、
未来についてお話ししていきたいと思います。
どうぞお付き合いください。
日本人初、日本の大学からアメリカのプロソフトボーラーに挑戦
現在、女子ソフトボール
世界ランキングNo.1のアメリカ。
そこに直接足を運び、
日本人初、日本の大学からアメリカのプロのソフトボーラーになります。
実業団からアメリカへ渡っている選手や、アメリカの大学に通い、プロになった方はおられますが、日本の大学を卒業した後、直接アメリカにトライアウトを受けに行き、プロとして活躍したことのある日本人選手はいません。
今後、日本の大学を卒業した人たちが、アメリカへ渡れるよう、パイプを作っていきたいと思います。
2020年2月から渡航します。
クラウドファンディングをスタートする(2019年12月25日)ので、ぜひ応援よろしくおねがいします!!
→https://camp-fire.jp/projects/view/214987
世界中でソフトボールができる環境をつくる
ソフトボールの可能性は無限大にあります。
ソフトボールを通じて、語学が学べる。
ソフトボールを通じて、国際交流ができる。
ソフトボールを通じて、スポンサーを獲得することができる。
私自身もオーストラリアに渡航するまでは、「学生ソフトを終了する」→「実業団に行く」という王道の道しか知りませんでした。
しかし、今は違います。
学生ソフトが終わった後は、海外に出てさらなる競技力アップだけでなく、プラスアルファで3つも4つもスキルを身につけることができます。
私が、小学校に足を運んでお話ししているとき、とある保護者の方にこう言われました。
ソフトボールは未来が見えないから途中でみんな辞めてしまう。
これからは、そんなことは言わせません。
むしろソフトボールをしていることを強みにし、ソフトボールで生きていくことができる選手を増やします。
スポーツ奨学金をつくる
海外留学をいきなりするのは金銭的にハードルが高い家庭も多く、夢を諦めてしまう人も少なくありません。
お金のせいで夢を潰されるなんて悔しいことは、あってはならないと思います。
自分自身が助けていただいた、トビタテ留学JAPANのように海外で活躍したい「アスリート」に特化して奨学金を作りたいと思っています。
初めはソフトボール選手からスタートさせ、ゆくゆくは全てのアスリートにも対応していく予定です。
今後、スポーツをしていることが強みになる世の中になっていきます。
そのときにしっかりと背中を押してあげられるようなそんな存在になりたいと思っています。
アスリートをプロデュースする
スポンサー契約を結びたいと考えているアスリートは多いのではないでしょうか?
しかし、アスリートがスポンサー契約を結ぶこと自体、決して簡単なことではありません。
アスリートの多くが、「競技実績さえあればスポンサーがつく」と考えていますが、これは大きな間違いです。
もちろん実績はないに越したことないですが、実績よりも大切なものがたくさんあります。
アスリートとして競技を頑張るのは当たり前。
その他の分野でいかに、自己アピールできるかも大切です。
そういった「アスリートがスポンサーを獲得するための方法」について一緒に考え、ブランディング方法を伝授します。
そして、スポンサー契約を結ぶアスリートを増やせるようにしていきたいと思っています。
夢を追いかけたい人へ
2019/8/1。
一緒に夢を追いかけていく人へのファンクラブを立ち上げました。
ブログやSNSで発信できないエピソード、スポンサー獲得をするためにどのような活動をしているのかを毎朝発信しています。
メルマガのように思ってくださって構いません。
使い方は自由で、毎朝読むだけで今日一日の活動にプラスアルファで考え方を追加したり、一緒に頑張ろうと夢を追いかけるための後押しをさせていただきます。
名目は「本庄遥ファンクラブ」となっていますが、実際に内容はファンの方に向けたファンレター的なものではなく、日々の活動報告(スポンサー獲得のための動きや、ピッチング教室のやり方、メンタルコーチングを受けている様子を生配信)など、アスリートには欠かせない情報がぎっしり詰まっています。
さらに、メンタルコーチングの講師をされている台本さんや、トレーナーの講師をされている服部拓也くんをスペシャルアドバイザーとしてお招きしており、私が海外で活動している最中もセミナーなども行う予定です。
月額1,000円でアスリートの方にも負担にならない程度に最大限考慮しております。
前回のクラウドファンディングで25万円の目標に対して、50万円の資金調達を達成したこともあり、キャンプファイヤーの方からは「少し低すぎるのでは?」とのご連絡を頂いたりもしました。
しかし、私がスポンサーを探し始めた時の自分の金銭的な苦しさを思い出すと、アスリートに対してはできるだけ負担を減らしたいと考えました。
フィジカル面、メンタル面、そしてブランディング面とすべてのことをサポートできるシステムにしておりますので、マイナスになることはまずありません。
また、スポンサー契約をしてくださった方々は「金銭的な目的よりもとにかく応援したい」と言ってくださる方ばかりで、場合によっては、私のファンクラブにご入会されている方からスポンサー契約まで繋がる可能性も十分あります。(現在スポンサー契約をしていただいている方もファンクラブに招待しています。)
たった一度のカラオケに行く回数を減らす、友だちと飲みにいく時間とお金を自己投資に使う、コンビニでお菓子を買うことをやめる、ひと月のほんの少しの我慢があなたの「応援され力」を磨きます。
現在、アスリートとして入っている方はおられませんので、積極的にスポンサー獲得や自己ブランディングについてのご相談にも乗らせていただきたいと思います。
1人でも多くのアスリートを救えることを願っています。
ご入会はこちらから。