本庄遥ファンクラブ

投げれなくなってからでは遅すぎる。アスリートが自分の体を大事にすることの大切さ。

投げれなくなってからでは遅すぎる。アスリートが自分の体を大事にすることの大切さ。

 

海外でソフトボールをしながら日本代表を目指す、アスリートライターの本庄遥です。→アスリートライターとは?

 

私が今回この記事を書くのは自戒も込めて。

アスリートの方、アスリートを指導する監督、コーチの方にも一度考えて欲しいなと思います。

私が怪我をしてやっと気がつくことができた自分の体の大切さについて書いていきます。

 

大学2回生の悲劇

2回生の秋リーグの途中から、肩に違和感を感じていました。

私の聞き手の大切な利き腕の左肩です。

大学では、1回生の秋のリーグ戦からエースを背負っていました。

元々責任感が強い私は「肩が痛くて投げれません」ということが出来ず、シーズンが終わるまで無理して投げ続けました。

2回生の秋には、関西リーグに所属している1、2年生のみで戦う新人戦があります。

私たちの大学には、2年生以下のメンバーが全部で9人。

1人でも脱落したら棄権しなければいけない状態でした。

また、私は2年生以下のチームのキャプテンも務めていたので、出ないという選択肢は頭の中にありませんでした。

 

試合当日、ストレッチの肩を上げることすらできないほどの重症。

それでも試合は強行突破し、4回ほど投げ切りました。

 

根拠のない「肩が治るだろう」という自己判断

試合が終わって病院に行き、けがをしたときの一般的な診察をして、レントゲンやMRIを撮りました。

しかし、結果は不明。

特別肩が抜けているわけでもない、螺旋骨折でもない、疲労骨折でもない。

結局、「多分、軟骨がちょっと擦れて痛いかもしれないですね」と言われただけでした。

お医者さんからは、「3月の春リーグには間に合いますよ」と言われて安心しました。

 

治っている感覚がしない毎日

 

電気を流したり、関節を動かしたりして肩を柔らかくしたり…いろんなことをして、少しずつ回復しているように感じました。

しかし、私の頭の中には「1月くらいから投げないと大会に出られない可能性がある」

ということも分かっていたので、12月の終わりごろには相当焦っていました。

なぜなら、「私が感じている痛みが、投げれるようになると確信が持てるほど回復していなかった」からです。

12月の年末に、「さすがにおかしい」と思って先生に思っているように痛みが取れていないことを伝えると、

「もしかしたら間に合わないかもしれない」と申告されました。

その言葉の意味が理解できませんでした。

その日、本当は施術が終わったら練習に行く予定でしたが、どうにもならない自分の肩にイライラと焦りとで涙が止まりませんでした。

 

私のピッチングに対するモットー。

今までの私のモットーは

「いつ投げれなくなってもいいから、目の前の試合に勝ちたい」でした。

もし仮に、ここで私が投げなくて負けたら後悔すると思っていましたし、これは今でも変わっていません。

今までは怪我をしようがどうなろうが、自分が投げて勝ちたかったですし、ソフトボールも長年続けてきている分、正直いつ辞めてもいいと思っていました。

けがをして初めて「マウンドに立つことが好きなんだ」と初めてわかりました。

 

ですが肩が治っていないことは現実。

変えることが出来きません。

私は病院に通うのをやめ、整骨院や神の手と言われている人のところを紹介してもらったりと様々な方法で治す方法を探しました。

 

MRIでわからなかった肩の痛みの原因が判明

2つの院で言い渡された診断されたのが

「亜脱臼」でした。

亜脱臼とは、骨が少しだけずれていることを指します。

MRI等でも見つけることのできない症状だそうです。

骨がずれた状態で今までピッチャーをしていたそうです。

骨がはまっていないのに投げ続けている自分を想像するだけでぞっとしました。

 

誤魔化し続けた大学生時代

結局、痛みが完全に取れないまま復帰したせいで、その後の大学ソフトボールをほとんど棒に振りました。

途中結果も出た時期もありましたが、納得したピッチングは一度もありませんでした。

ときには、大会の1週間前にズキッとした痛みに襲われて、大会1週間前まで投球を休むこともありました。

チームのために無理しても投げている以上、みんな条件は同じなので、周りからは容赦なく私のピッチングを指摘しました。

ピッチャーは、勝ち負けを大きく分けるポジションなのでコンディションの良し悪しは特に目立ちます。

私自身も怪我のせいで自分のパフォーマンスが落ちていると考えたくなかったので、更に無理をします。

大学3回生春リーグからは、この負のスパイラルに陥りました。

 

エースなりのプライド

プロでもないのに大袈裟かもしれませんが、私が怪我している最中、「私が怪我をしていることを絶対ばらさない」ことを徹底してきました。

先輩にも協力してもらい、練習試合をしたときには「病み上がりだから投げない」という設定にして、他のチームの友だちにも絶対言いませんでした。

「相手のエースが怪我してるからチャンスだ」と思われたら終わりです。

試合は戦争です。

「勝てるかもしれない」と一瞬でも思わせたら負けです。

自分のことを過大評価しているように捉える方もいるかもしれませんが、エースはそれくらい

「自分が居ないと勝てない」という責任感を持つべきだし、そういう人がエースにふさわしいと思います。

 

身体を大切にすることとエースとしてプライドを持つこと

身体を大切にすることとエースとしてのプライドを持つことは、ほとんど真逆に位置するものかもしれません。

私が今回怪我をしたとき、自分の身体を大切にすることがアスリート人生に対してどれほど大切なのか、初めて知りました。

チームのエースとして自分を犠牲にしてでもチームを勝たせることが大切だと思っていましたし、それがアスリートとしての本望でした。

しかし、いざ本当に怪我をして「2度と投げられなくなるかもしれない」立場に立ったとき、自分のソフトボール愛の深さを感じました。

今でも自分が投げなくて自分が負けるのは嫌ですし、無理はし続けるだろうなと思います。

ですが、「これ以上の痛みはまずい」という基準が自分の中で決められるようになり、それ以上は無理して投げないようにしました。

身体を大切にすることは、チームを勝たせることくらい大切です。

 

あなたがアスリートなら、試合中に無理することもあると思います。

ですが、絶対に後悔だけはしないでください。

そこで無理してプレーするのもあなたの人生ですし、目の前の試合よりも将来プロとして活躍したいならばそこは無理するところではありません。

自分と相談して悔いのないアスリート人生を送ってくださいね。

 

東京オリンピックへ向けて。〜プロへの挑戦〜


私は2020年3月10日からソフトボール世界No. 1の国であるアメリカのプロソフトボールチームに入団テストを受けに来ています。

身長は154㎝で体格は決して恵まれていません。


中学時代全国大会でベスト4、高校のインターハイで優勝、大学の関西リーグでは、防御率0で最優秀投手賞を受賞。

しかしながら、日の丸を背負って投げた試合は、日韓交流戦のたった一度だけ。

防御率はいいものの、決して三振をバンバン取れるピッチャーではなく、同年代の中でも目立ったピッチャーではありませんでした。
 
立命館大学に入学し、1回生の秋からほとんどの試合を任せてもらうようになり、エースとしてマウンドに立ち続けてきました。

しかし、過度な投球が原因で肩を負傷。

上野さんたちが戦っている日本ソフトボール界の頂点である「実業団」に挑戦するイメージはどんどん消えてきました。

ある日、夢の中でアメリカのプロリーグにスカウトされました。

夢を見たことがきっかけで海外でソフトボールを続けることを決意。

2017年11月からオーストラリアのブリスベンに1年半ソフトボール留学し、QLD州(ソフトボールが最も盛ん地域)U23の代表に選ばれました。
 
オーストラリアで、自分のピッチングが通用したことが
自信になり、ソフトボール世界No.1のアメリカで、プロを目指すことを決めました。
 
人間、諦めなければ必ず夢は叶うと信じてここまで取り組んできました。

アメリカのプロになる事は、決して簡単なことではありません。

しかし、どうしてもこの夢を叶えて日本人初のプロソフトボール選手になりたいのです。

そして、日本から私以降にアメリカでプロになる選手を増やし、日本の競技力向上を図ります。

私のファンクラブにて、今後の展望をお伝えしておりますので、是非ご覧ください。

このファンクラブは、みなさんと一緒に夢を追いかけるためのコミュニティです。

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